先月来、心待ちにしていた真福寺(しんぷくじ)の紅葉が、ついにその最高の輝きを放ち始めました!
実は、先月初めて訪れて以来、その”黄金色”への変身を見届けたくて、何度か足を運んでいました。その都度、色づきかけの葉を眺めては、「まだかな、まだかな」と首を長くしていたのですが…
先日(12/9)訪れてみて、思わず息をのんでしまいました!


昔、この台地の下まで海が迫っていた頃、船をつなぎとめるために、イチョウの木の杭を逆さに打ち込みました。その杭がなんと根付いて、やがてこのような大木になったというのです。
さいたま市はどんな海だった?
当時の東京湾は、現在の埼玉県内まで大きく入り込んでおり、これを「奥東京湾(おくとうきょうわん)」と呼びます。
- 入り江の広がり: さいたま市の大宮区、浦和区、南区などの低地部分は海(入り江)になっていました。
- 台地と海岸線: 大宮台地(現在のさいたま市中心部がのっている高台)は、当時は海に突き出した「半島」のような形をしており、その周囲には複雑な入り江が広がっていました。
- 海の深さ: 現在のJR浦和駅や大宮駅周辺の低いエリアは、ヤマトシジミやハマグリなどが採れる、豊かな浅瀬や干潟だったと考えられています。
海だった証拠「貝塚」
さいたま市内に海があった最大の証拠は、市内の各地で見つかっている「貝塚」です。
- 貝塚の分布: さいたま市内には70カ所以上の貝塚が確認されています。これらは当時の海岸線沿いの「台地のふち」に集中しており、縄文人が海から貝を採って食べていた暮らしを物語っています。
- 有名な遺跡: 大宮台地の周辺には、大田窪貝塚(南区)や真福寺貝塚(岩槻区)など、当時ここが海岸だったことを示す重要な遺跡がたくさんあります。
いつから陸になった?
縄文時代の中期から後期(約4,000〜3,000年前)にかけて、気候の寒冷化とともに海面が下がり始めました。
- 湿地化: 海が退いた後は、水はけの悪い低湿地(沼地)へと変わりました。
- 見覚えのある地名: さいたま市内に多い「沼」や「谷」のつく地名(見沼、鴻沼など)は、海が退いた後に取り残された水辺の名残です。
単なる巨木としてだけでなく、昔この場所が海辺だったという歴史を今に伝える「生きた証人」。この伝説を知ると、イチョウの木がさらに神秘的に見えてきますよね。
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